2012年9月11日火曜日

西安の少年



西安の少年


そのお兄さんは、母の大学の知り合いで、母を訪ねて西安までやってきました。母から一人で世界を周ろうとしている人だと聞いていたので、いったいどれだけワイルドな人が来るのだろうと思っていたら、見た目は普通の日本人でした。僕自身は日本で生まれ、小学校六年生までは日本で育ち、日本の学校に通い、2年前に西安に移りました。はじめは勉強にもついていけず、友達もできなかったのですが、今はなんとかやっています。でも久々にお兄さんの日本語を聞いて、日本の友達のことが懐かしくなりました。こちらに馴染むためあまり連絡を取らないようにしていたので。

お兄さん今はどこにいるんですかね。ぼくもいつかもう一度日本に行ってみたいです。

2012年9月7日金曜日

広州出身の旅人

 
 
広州出身の旅人


彼に出会ったのは、上海のホステルでした。喫煙所で彼にライターを借りようとしたら、彼が京都とプリントされたライターをくれたのです。そんなところから彼と話をし始めたのですが、彼の英語は単語をなんとか並べる程度でした。僕も上手いわけではないですが、彼との会話は20%しかお互い理解できなかったのではないでしょうか。もっと少なかったかもしれません(笑)

彼とは上海から抗州まで一緒に旅をしました。彼がこの国で本当に移動などができるのか心配だったというのもあります。しかし、彼の持っているテンポのようなものが自分に合っていたからというのが一緒に旅をした理由です。僕は中国人の中でも声も小さいし、あまり急がないタイプなので。そもそも旅人同士というのはどこか同じような空気を纏うものです。

彼とはその後別々になりましたが、どうしているんでしょう?ちゃんと旅を続けているのかな?あの英語で(笑)

2012年9月2日日曜日

上海フェリー船員 



上海フェリー船員


彼は取り立てて目立った存在ではありませんでした。ちょうど日本人大学生の団体が乗船しており、彼もその中のひとりのように見受けられました。

なぜ彼を覚えているかというと乗船直後に「携帯電話を見送りに来た女性に渡すのを忘れてしまったので、なんとか渡すことはできないか」と、船員に要求してきたからです。私はすぐに「無理だ。もう出国手続きが済んだのだからあきらめて中に入れ」と伝えましたが、港の日本人職員はそんな彼のためにわざわざ携帯電話を女性のところまで渡しにいきました。日本人はすべてに丁寧に対応しすぎる節があります。まあ、そんな乗客の要請はよくあることなんですがね。